超難解!当事者意識(新入社員からの当事者意識)

こんにちは、atteyaaのマツイです。
組織への帰属意識を持って欲しい。
もっと当事者意識を持って会社と向き合って欲しい。
そんな言葉、よく言われますよね。
でもこれってめちゃくちゃ難しいことなんです。
今日はそんな物語を書きつつ
じゃあこれができたら若くから活躍できるんじゃない?
そんなヒントをお話できたらいいなと思います。
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「会社のことを考えてくれ」と言う。
「もっと当事者意識を持ってくれ」
経営者がよく口にするフレーズだ。
社員にも、組織にも、
もっと自分ごととして向き合ってほしいという願いがそこにはある。
気持ちは分かる。
だが、まるで届かない。
むしろ言えば言うほど溝が深まるだけで、相手の顔は曇っていく。
それもそのはずだ。
家族に置き換えれば、すべてが見えてくる。
親は、家のことを考える。
朝早くから働いて金を稼ぎ、
帰宅すれば飯を作り、掃除をし、
近所づきあいもそつなくこなす。
光熱費の支払いから子どもの学費まで、
頭の中は家計のことでいっぱいだ。
そして子どもの将来まで、頼まれもしないのに勝手に心配している。
親にとって家族は「責任」そのものなのだ。
一方、子どもはどうか。
家という「舞台」を当たり前のものとして受け取り、
そこで好きなことに没頭する。
部活や趣味、友人関係に恋愛騒動。
親の苦労なんて知ったことではないし、知りたくもない。
夢はあるかもしれないが、
親に話すのは照れくさいし、
どうせ説教されるのもうっとうしい。
子どもにとって家族は「当然の前提」でしかない。

組織も同じ構図だ。
経営者は毎日、会社の行く末を案じている。
売上、競合、人材確保、資金繰り。
頭の中は心配事だらけで、夜中に目が覚めることもある。
けれど現場で働く人間からすれば、「今日の仕事」がすべてだ。
給料は振り込まれるものだし、会社が潰れるなんて実感もない。
経営者にとって会社は「使命」だが、社員にとっては「職場」に過ぎない。
ズレがあるのは当然だし、それが悪いわけでもない。
立場が違えば見える景色も違う。
責任の重さも、時間軸も、何もかもが違うのだから。
だから、「家族で団欒を」と突然言い出しても、
「急に何を言い出すんだ」と思われる。
「会社のことを考えてくれ」と訴えても、
「また始まった」と受け止められる。
当たり前の話だ。
押しつけられた瞬間、人は身構える。
反発は、むしろ自立の証でもある。
それでも、家族は家族だし、組織は共同体だ。
誰かひとりの想いだけで回るものでもなければ、
誰かひとりが諦めれば終わってしまうものでもない。
だから諦めずに語るしかない。
「この場所は、あなたがいるから成り立っている」と。
そして辛抱強く待つしかない。
誰かがふとした瞬間に
「ここは自分の居場所だ」と思い始める、その時を。
きっかけは些細なことかもしれない。
同僚の何気ない一言だったり、
お客さんからの感謝の手紙だったり、
自分の仕事が誰かの役に立っていると気づく瞬間だったり。
そんな小さな発見の積み重ねが、
やがて「自分ごと」に変わっていく。
当事者意識は押しつけるものじゃない。
それは間違いない。
だが、火種は誰かが作らなければ燃え上がらない。
その火種を作り続けるのも、また誰かの仕事なのだ。
そしてそれは君かもしれない。
読んでくれてありがとうございます。
旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
そんな疑問を感じたらぜひatteyaaを除いてみてください。