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自分の給与を自分で決めるということの意味

こんにちは、atteyaaのマツイです。

私たちの会社は給与の自己申告制度というものを導入しています。
社員が自ら給与を決め、それに見合う貢献内容を宣言する。
今日は、そんなちょっと未来的な制度を導入している意図や思いを
いつもながら無頼派口調で綴ってみました。

酒場で一杯ひっかけながら、ふと思うことがある。
給与を自分で決めろと言われたら、
あなたはどうするだろうか?

まあ、普通の人間は面食らうに違いない。
会社が決めた金額を大人しく受け取り、
文句があってもぐっと呑み込む
――そんな日常に慣れきった身には、
急に「自分で決めろ」と言われても戸惑うばかりだ。

だが、この制度の真の恐ろしさは、金を決めることにあるのではない。
自分という人間を、否応なしに社会の前に引きずり出すことにある。

考えてみろ。
自分で給与を決めるということは、
自分の価値を自分の口で語らなければならないということだ。
「俺はこれだけの価値がある」と、
恥も外聞もなく宣言しなければならない。
そこには逃げ場がない。

酒に酔った勢いで法外な金額を叫ぶのは簡単だ。
だが、明朝になって同僚の顔を見れば、途端に後悔に苛まれる。
かといって、卑屈に安く見積もれば、
それはそれで「お前はその程度の人間か」と突きつけられる。
進むも地獄、退くも地獄
――まさに人間の業の深さを味わうことになる。

さらに重要なのは、
給与を決めることが「未来の自分への宣言」になるという点だ。
いまの自分をどう評価するかだけではなく、
「これからどう貢献していくのか」を言葉にし、
それを金額という具体的なかたちで社会に示す。
これは自己肯定感を磨くと同時に、
未来への責任を自覚する訓練でもある。
現実は甘くない。

こうした経験は、就職活動や仕事の現場で必ず活きる。
面接で自分を語るとき、
上司に提案するとき、
顧客に価値を伝えるとき。
すべては「自分の価値を言葉にし、相手に伝える営み」だ。
給与を自分で決める制度は、その縮図であり、シミュレーションなのだ。

メタ的に言えば、この制度は「お金を決める」実験ではない。
「自己と社会の関係を再構築する」実験だ。
給与を”もらう”から”選びとる”へ
――このシフトを体験することは、
自分が社会の中でどう立ち現れるかを再定義するプロセスでもある。

だからこそ、この経験は若いうちにこそ価値がある。
自分の価値を客観視し、言葉にしていくこと。
それができる人間は、どんな場所でも強くしなやかに生き抜いていけるだろう。
世の中はそう甘くはないのだから。

読んでくれてありがとうございます。

旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
そんな疑問を感じたらぜひatteyaaを除いてみてください。

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