挫折のデザイン
こんにちは、atteyaaのマツイです。
本日のタイトルは「挫折のデザイン」です。
ただ「挫折」にしてもよかったのですが
なんか任侠映画とか北野武監督の映画っぽい?とか
みなさんは思わないかもですが
私がそう感じちゃったので
少しだけ考えて「挫折のデザイン」としました。
挫折にフォーカスしたきっかけは前回私が書いたブログです。
このブログでは、良い学生生活を送ることが
その後の社会人生活の適応に影響をもたらすらしいということを
一つの研究論文を参考に解説しました。
よければこちらもぜひ読んでみて下さい。
挫折
学生生活での「挫折・葛藤」の有無が
早期に社会に適応できるか?(適応)
それともできないか?(不適応)
に影響しているという研究結果でした。
個人的には腹落ち度120%でして
この研究内容を知り合いの経営者さんにお話すると
「いや、ほんとそれだわ!」ってめっちゃ共感されるんです。
どうやら、研究としても臨床(現場)領域でも
「人生には挫折が大事」ということが
それなりの説得力を持っていることが分かります。
では、あらためて挫折とは何なのでしょうか?
心が折れること?とか、挫折という言葉の意味は
それなりの共通的理解とイメージを持っていると思いますが
今回は以下のように定義しておきたいと思います。
ある目的や目標、期待を持って行ったこと、
続けてきたことが中途でくじけ折れ、
とてもネガティブな気持ちになる体験(北村1983)
挫折のデザイン
この挫折というものが、
社会人の早期キャリアに好影響を与えるのであれば
意図的に挫折をデザインするということが
ある意味で大事なのではないか?と思ったりするのですが
いかがでしょうか。
挫折のデザインとは何とも型破りな感じもします。
でも、キャリアひいては人生に好影響を及ぼすのであれば
意図的に人生に挫折を組み入れる
そのように人生をデザインすることはとても有意義なはずです。
キャリアデザインの文脈を見てみます、
キャリアの世界ではよく以下のことが語られます。
- キャリアとは「轍(わだち)」である
- すなわち自らが通ってきた道(足跡)
- それらを振り返って「どう意味づけするか」が大事である
自分の経験を振り返って「どう意味づけするか」
これが肝要なのだということが理解できます。
さらには挫折がキャリアの一部であることを考えれば
挫折も意味づけがキモなのではないか推測することが可能です。
意味づけ
その意味づけの研究においてはJoseph & Linley(2005)が
同化(assimilation)と調節(accommodation)という概念を提唱しています。
「同化」とは自身が持つ物事の見方や考え方に一致するように
その体験を解釈、了解することで、
「調節」はその体験を理解、解釈するために意識的、意図的な認知、感情的対処を行い、
自身が持つ物事の見方や考え方を修正していくことと定義しています。
同化と調節、いかがでしょうか。
こちらも妙に得心、納得感ありますよね。
過去を振り返って意味づけをする際に
人は同化的意味づけと調節的意味づけをしている
自分を振り返っても、まわりを見てみても間違いないように思います。
挫折を経験していないように見える人は
同化(的意味づけ)を繰り返していて、
直線的な成長はあるものの変化変容がない。
調節(的意味づけ)ができれば
そこから新しい認知の枠を取り入れ
必然的に多様な価値を持てるようになります。
挫折の攻防
一見すると意味づけは調節が望ましいものだと理解しがちですが
調節にも欠点があリます。
調節は自身や周囲の社会環境に対して、
ネガティブな認知も持つことにもつながります。
(堀田・杉江、2013)
これも分からなくもありません。
経験を内生的に振り返る際
過度に自分に対するネガティブなフィードバックを
自身の修正へと反映させていくことは
自分とそれを構成する社会に対して否定的な感情が芽生えるきっかけとなります。
一方、同化の場合はこういうことが起こりません。
今までの自分が許容できる範囲での意味づけを行うからです。
ここに挫折のデザインのヒントがあるように思います。
挫折的経験がなく、
豊かなキャリアを歩めていないのであれば
あえて挫折するような経験にチャレンジすること。
その上で、意図的に経験に対する意味づけを
同化と調節のコントロールをすること。
挫折がない人、できない人はおそらく以下ではないでしょうか。
- そもそも調節的意味づけを知らない(だからできない)
- 調節的意味づけによる自己否定的なネガティブな側面が怖い
どちらにせよ、同化と調節の意味づけが理解できれば
意図的にデザインすることができるのではないでしょうか?
キャリアデザインという茫漠としたものよりも
少しは具体的で行動しやすいのではないか?と思うのは私だけでしょうか。
読んでくれてありがとうございます。