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“分かりやすさ”は善か?

こんにちは、atteyaaのマツイです。

分かりやすいことって大事ですよね。

分かりやすく話す
分かりやすい説明文章
使い方が分かりやすい

日常生活の文脈において
分かりやすいことはとても重宝されます。

一方で、
分かりにくい、難解であること
これらはあんまり歓迎されません。

でも、分かりにくいことは本当に悪なのでしょうか?
私はそうではないと思っています。
逆に分かりやすさを追求することの方に
たくさんの落とし穴があるように感じます。

学生と接していて多いのが
「自己分析が難しいです。どうすれば良いのでしょうか?」
「こんな私はどんな仕事に向いてるのでしょうか?」
というような質問です。

自己分析は確かに難しい、
自分にあった仕事とは何か?これも難問です。

だからこそ教えて欲しい。
分かりやすく解きほぐして欲しい。
そんな気持ち、とても分かります。

A=Bである
AすればBとなる

数理であったり、論理であったり、
学校教育において私たちはこれらのパターンを数多く学んできました。

なので、これらを提示されれば理解し、分かった状態になる。
もしくは、AなりBのどちらかを提示されれば片方の解を提示できるわけです。

分かりやすさを求める人は
A=Bのよう明確に示されていること
もしくは
AかBのどちらか一方が置かれている状態を期待するわけです。

ところがどうでしょう。
・よりキャリアとは?
・よい人生とは?
・よい仕事とは?
社会に出て向き合い続けなければ行けない問いには
どうやらAもBも示されていないわけです。

たくさんの人がヒントのようなものは語ってくれるけれど
どうやらそれはその人の尺度で語られていてどうもしっくりこない。
そう、すなわち「分かりにくい」となる。

人が分かりやすいと感じるものには
多くの場合共通のものさし、他人のものさしが存在します。

でも、
人生において本当に大事なことに向き合うには
自分のものさしが必要になる。

日々私たちは意識的にもしくは意図せずとも
たくさんのことを学ぶわけです。
勉強はどこかに答えがあり
研究には超えるべき課題があります。
そして学問は「問いと化す」と言われます。

学ぶということは
自分自身に問いを立て続ける行為である。

そう考えれば、
学校教育から巣立つ前から
分かりやすいことを追求せず
分かりにくい問いを持ち続けることが肝要ではないか

私なんてついつい
「要約したらこうだよね!」
「簡単に言ったらこういうこと?」
ってしたり顔でやっちゃいます。

でもでも、
分かりにくいことをそのままに
自分のものさしでどう向き合うか
そんな楽しみ方があるように思うのです。

分かりやすいこと
分かりにくいこと
分からないこと

実は何でもよくって
大事なのは自分で深く考える。
自らに問いを立てるということなのでしょうね。

えっ?
分かりにくい?
ならよかった。

読んでくれてありがとうございます。

旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
そんな疑問を感じたらぜひatteyaaを除いてみてください。

https://atteyaa.com/

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