何を卒業するのか

こんにちは、atteyaaのマツイです。
4月1日、当社も新入社員を6名迎えました。
入社、おめでとう!
入社してきてくれてありがとう!
さて、彼らはその少し前に「卒業」というイベントを終えました。
大々的に卒業式を執り行い、その後三々五々にお別れを惜しむ。
「卒業だ〜!!」という掛け声とともに、笑いあり、涙あり。
がしかし、ここで問いたい。
「君たちは何を卒業したのか?」
大学(や専門学校)を卒業した。
確かにそうだ。
学問(学校で学ぶこと)を終わらせる。
それが卒業だという君を誰も攻めやしないだろう。
何かを終わらせるということは
何かが始まることを意味している。
本人が意識していなくとも必然的にそうなるのだ。
大学を卒業し、社会人が始まる。
文章にすると非常に単純で
卒業したことで社会人になれるように見える。
何を卒業し、何をやるのか。
何かを終えて、新たに次の役割を纏うのであれば
それを言葉にしなければいけない。
でなければ、君は何も終えれず始められないのだ。
何も言葉にできないということはそこから無意味が始まる。
私はそれができなかった。
大学は卒業したが、私はずっと生徒(学生気分)だった。
義務教育、そして高校、大学と
自発的でなくともなんとなく変わってきた景色
時間とともに社会が動いてくれるのだと、そう思っていた。
飼いならされた池の鯉さながら
無様に口をパクパクと開けて
誰かが何かを入れてくれるのを待つ。
何もくれない場合はそこから去り、他の餌を探す。
が、誰も何も与えてはくれなかった。
そんな者に餌を与えるほど社会は寛容ではない。
学校で学ぶことを卒業する若者たち
君たちは本当の意味で何を卒業するのだろう。
君たちは次にどんな役割を纏い、何を担い、何を成すのか。
昭和の名曲にチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」というのがある。
当時はちょっとした不良の社会への嘆きとして聞いたけれど
今となってはしみじみと感じ入るものがある。
卒業式だと言うけれど
チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」
何を卒業するのだろう
逆に言えば、これを考えないから就職活動なんてすることになる。
少子高齢化、売り手市場、
にも関わらず市場価値が高いはずの若者たちは競って就活をする。
何を卒業し、何を纏うのか。
この答えが出ないのであればフリーターにでもなったほうがよい。

言葉は意味をもたらす。
言葉がなければ意味は生まれない。
一方で、学生は学ぶ者という意味がありそうだが
社会人という言葉にはほぼ何の意味もない。
学生ではないくらいの意味でしか機能しない。
そう。意味を、言葉を自分で作らなければいけない。
でなければ君はずっと無意味だ。
何を卒業する(した)のか?
読んでくれてありがとうございます。
旅って何だろう?
キャリアって何だろう?
人生って何だろう?
そんな疑問を感じたらぜひatteyaaを除いてみてください。