履歴書がなくなる日
こんにちは、atteyaaのマツイです。
履歴書がなくなればいいなー
なんて日々思ってます。
学生のときは謎に書くのが嫌いでしたし
今は採用する側ですが、本当にそう思います。
なぜ履歴書は始まったのか?
少しググってみました。
でも残念ながらクリティカルな内容はヒットしませんでした。
でも最初に履歴書を使ったのが
実はレオナルド・ダ・ビンチだった
なんて記事を見つけました。
真偽は不明です。
にしても、ダ・ビンチ恐るべし!
ダ・ビンチが多才で様々な成果を後世に残していることは有名です。
Wikipediaで見てみるとあらゆる学問領域を渉猟していたことが分かります。
そして、履歴書も、、、
万屋感が半端ないですね。
銀●の銀さんも真っ青です。
さて、なぜ、履歴書が必要か。
それはスペックや機能(以下、まとめてスペックとします)です。
昔は、履歴書に書くような内容、
例えば出身地、出身学校、経験、資格、
これらを見ることが採用の判断をする上で
必要にして十分な条件だったのです。
なぜなら、そこに差があったから。
昔は、
どんな環境で、
何を学んで、
何を得てきたのか、
そこに違いがあり、それが明確だった。
例えば、高等教育を受けている人の知識と教養は
そうじゃない人のそれと比べるとやはり違う
当然、例外はたくさんあったでしょうけど
要は履歴書というフォーマットを定めて
そういうスペックを見ることが効率的だった
ということなんだと思います。
そう考えるとダ・ビンチが履歴書を書いたというのも得心です。
ダ・ビンチは圧倒的にスペックで他を圧倒していたでしょうから
それをアピールするために履歴書は効率的(合理的)だった
だからこそダ・ビンチは閃いたのではないでしょうか。
さて、ダ・ビンチのルネッサンスの時代から現在まで
履歴書は変わりました。
一定の統一感のある様式が流通し
そこに自分のことを当てはめてを書くようになりました。
氏名、性別、住所、
出身地、出身学校、
経歴や資格、前科の有無、そして顔写真など
時代の変遷とともに偏見や差別を選考の要素から排除するため
前科や出身地は削除されました。
多様性の時代に合わせて性別の記載もなくす方向で今は進んでいます。顔写真も評価のバイアスをなくすため不要ではないか?とも言われています。
スペックデータが減ってきました。
情報の扱いもセンシティブになりましたから、
これからは減ることはあっても増えることはないでしょう。
一方で自己PR欄というものがあります。
ここは自由記述で、その名のとおり個々がアピールしたいことを書く。
高等教育を受ける人材が増え
仕事内容も多様化・多能工し、
スペックだけでの判断が難しく
スペックでの差も昔ほど顕著でなくなった。
なので、それ以外の要素が重視されるようになってきて
そこを表現しようとなったわけです。
ここ!
ここです!!
ここに履歴書というサービスの分岐点があります。
今思うと、このあたりで履歴書は役目を終えるべきだったのです。
あの名作漫画のドラゴン●ールも
終わるタイミングを逸したという説があります。
天下一武●会やサイ●人偏で終わるべきだったと。
多くの人が口を揃えて言います。
物語のピークを終えて
惰性で続いているのを知りながら
読者は読み続けました。
なぜなら、代わりがなかったからです。
ドラゴン●ールほどの人気タイトルは当時はありませんでしたから。
様々な方の期待を背負っていました。
致し方なかったのだと思います。
このままだとワ●ピースの話にもなりそうなので
話を履歴書に戻します。笑笑
履歴書はスペックを比較するという役目を終えた時点で
他の物に立場を譲るべきでした。
でもそうは問屋が卸さなかった。
使い慣れた履歴書にいろんな要素を盛り込もうとするわけです。
・自己PR
・志望動機
・手書きで字のうまさを確認する
極めて感覚的で定性的なことから
字は上手な方が良いというような
判断する側個人の趣味嗜好的なことまで
履歴書の使い方をupdateしていくのです。
じゃあ、他の方法でやれよ。笑笑
結論としてはこう↑思うのです。
字が上手な必要があるならその試験を別でやれよと。
それに、自己PRや志望動機をかけない人って意外と多いですよね。
そりゃそうですよ!
そんなこと日常からやってないでしょうから。
特に日本人は自分を伝えるとかアピールするとか
欧米に比べるとそういうのが得意でなく
かつその手の教育を受けていない傾向が強いです。
それに書かしたとして
それを全部鵜呑みにするのか?ってことです。
結局は面接して、
聞いて、話して、さらに深く聞いて、
なんてことをやって、
お互いのすり合わせをやってるわけです。
自己PRも志望動機も結局は履歴書と違う方法で確認してるわけです。
じゃ、やっぱりいらんやん!
となるわけです。
自己PRも志望動機も
立派なものを期待するのではなくて
実際に会って、そこで話しながら、
一緒に見つけてあげる。
それくらいの心構えが必要ではないでしょうか。
ビジネスの世界では
・デザイン思考
・イノベーティブシンキング
こんな言葉が流行し始めています。
これは、決められたことや予定調和的なこと
そんなことが減りつつある現代において
いかに社会と自分をつなぎ、
社会と自分の関わり方を設計するか、
というような思考様式です。(たぶんww)
それが大事だぞと、
多くの研究者や起業家(企業家)が言っています。
であれば採用選考も然りです。
古くからの慣習にとらわれず
面接や履歴書をデザインし直すこと
人にとって本当に大事なことは何か?
その視点をデザイン思考的に持ち込めば
みんながハッピーな履歴書に代わる何か
そんなものが生まれるのではないでしょうか。
履歴書の添削で夜な夜な悩む学生、
それを添削するキャリアセンターのスタッフやサービス業者、
どこかで見たことのある志望動機を仕方なしに読み込む採用担当者、
こんな景色がなくなることを切に願っています。
で、これを書いていて確信しました。
うん。
間違いなく、履歴書はなくなりますよ。
読んでくれてありがとうございます。