面接の機能とは
こんにちは。atteyaaのウッチーです。
私は普段、採用担当をしています。
なので面接を日々実施しているのですが、そのたびにある問いが私の脳裏に浮かびます。
「私はその人のことをどれくらい理解できたのであろうか。」
「そして私たちのことをどれくらい理解してもらえたのであろうか。」
ではなぜ、上記のような問いが脳裏に浮かぶのか。
それは私が面接の在るべき姿を次のように捉えているからです。
面接とは相互理解の機会である。
面接とは企業側が一方的に学生を選別する場でもなく、学生(候補者)と企業が対話し、相互理解を深めていく。それによって個人のキャリアやビジョンと会社の文化やビジョンとのマッチングを度合いを双方が確かめる。
これが面接が本来果たすべき機能だと思います。
面接がその機能を果たしていくには、相手のその人らしさを引き出していく、さらけ出してもらう必要があります。
しかし、現実はどうでしょうか?世間に溢れた質問に、用意された回答で溢れている。それが多くの企業で見られる面接の現状ではないでしょうか。
面接官がググればいくつもの”面接質問集”が検索結果に表示される。
一方で就活生がググればいくつもの”面接回答例”や”逆質問集”が検索結果に表示される。
それをベースにお互いが質問や回答を予め武装する。
そして面接では予め武装してきた装備の披露合戦が始まってしまう。
本当にそれで面接本来の機能が果たせていると言えるのでしょうか。
答えは誰の目にも明らかですよね。
面接本来の機能を果たす上ではお互いが本音をさらけ出すことが必要であるとするならば、先のような面接ではその機能を果たすことはできないのです。
でも現実は武装された会話で溢れている。そしてお互い本音を見せ合わないまま、採用・入社してしまう。
その結果、入社後にリアリティ・ショックが起こり、3年のうちに3割の若者が新卒で入った会社をやめていき、企業も若者も疲弊していく。お互いが本音で対話しないばかりに・・・。
ここまで読んできた皆さんなら、私と同じことを感じたはずです。
そう、「学生と企業、それぞれの幸せのためにも、双方とも本音で対話すべき」だと。
では、なぜお互いに本音を出すことができないのか。
企業からすると「良い学生を採用したい」、学生からすると「良い会社に入社したい」。大雑把に言ってしまうとこんな心理が邪魔をしているのでしょう。
良い学生に入社してもらうために、本当の会社のよりもよく見せたい。
良い会社に入社するために、本当の自分よりもよく見せたい。
だから本音を隠してコミュニケーションしてしまう。
その結果は先も書いたとおりです。
なので、良い会社、良い人材の定義を捉え直さないといけません。
本音をさらけ出し合えない結果が、若者の3年3割離職問題とするなら、良い会社とはギャップなく、自分らしく働ける会社と言えるかもしれません。
良い人材とは、ギャップなく自分らしく働いてくれる人材とと言えるでしょう。
そんな会社、人材と出会うためにも、やはり本音をさらけ出し合うことが大切なのです。
でも、現状の面接ではそれは難しい。だったらどうすればよいか。
ネット上に溢れているような予定調和な質疑応答ではなく、もっとカジュアルに対話をしていけば良いのだと思います。何気ない会話の中で、その人らしさやその会社らしさを知っていく。
どうでしょう?かたっ苦しい面接よりもよっぽど本音で会話できそうじゃないですか?
もちろんそれだけで本音が出し合えるわけでもないかと思います。なので、企業側から積極的に本音をさらけ出していくことも大切でしょう。
また、採用担当や面接官だけでなく、より多くの社員とそういったコミュニケーションをとっていく必要があるでしょう。
もはやこれは面接と言える代物ではないかもしれません。
もっとカジュアルに、学生が会社の人と会って、本音で対話できる機会が増えれば面接なんて必要ないのかもしれません。
そう考えると、面接をなくしていくことが、私の社会貢献なのかもしれません。
そうだ、面接をなくしていこう。
以上、ご一読に感謝です。